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    ダーレン・アロノフスキー『ノア』とリアリズム表現 ー「孤独な人間」

     前回、アロノフスキーの『ノア』を取り上げたが、それに関連して。

     表現のリアリティに関する興味深い文章を見つけた。私の敬愛する作家吉行淳之介の『技巧的生活』(昭和42年新潮文庫)の巻末に載せられた奥野健男による解説。

     そして作者は、男も女も登場人物のすべての心理を見通し、それを意のまま操る、神のごとき場所にいる今までの小説作家の位置を信用しない。毎日一緒に暮らしている女房の心理、たえず知ろうとつとめている恋人の心理さえ、ほんとうにわかることがない。相手の心理がわかったと言うのは幸福な妄想である。知りたいと思えば思うほど、コミュニケーションの不能な他者の壁が強く意識されるのではないか。その了解不能の壁の存在を描くことが、そして孤独な人間の内部を描くことが相手の心理を何でも知っていると絵解き的に描くより、はるかに真実に迫ることができるのだ。かつては諸人間の心理が鳥瞰でき、その組み合わせのメカニズムを客観的に眺めることに興味を感じていた小説の読者も、今はそれをリアリティのないつくりもののように感じ、信用しなくなってしまった。相手のほんとうの心はわからず、あせりもがくところに切迫したリアリティと切実な共感をおぼえるのだ。
    太字下線は執筆者による)

    吉行淳之介が、不可解な女性に対して「あせりもがく」男の孤独な心理を描いたのだとしたら、『ノア』では、不可解な神に対して「あせりもがく」ノアの孤独な心理が描かれたとでもいえようか。

     またこの引用によって示唆されることは、リアリズムには2種類あるということ。「相手の心理を何でも知っていると絵解き的に描く」神の視点からのリアリズム表現と「孤独な人間の内部を描く」主観的な視点からのリアリズム表現。後者がより現代的。ギリシャ悲劇のリアリズム表現は前者にあたりそうだ。

     「ノアの方舟」という、それこそ古代劇にでも出てきそうな題材を扱いながらも、『ノア』からどことなくホームドラマ感が溢れ出ているのは、その映画の現代的なリアリズム表現のせいか。「ストーリー」と「語り」のミス・マッチとでもまとめておこう。


     第二考を閉じようとした時、ふと思う。現代的なリアリズムが「孤独な人間の内部を描く」とはどういうことだろう。「孤独」にリアルを感じるなんて、現代人は皆、常日頃から寂しい思いをしているということか。


    西東あき

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    西東あき

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