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    キューブリック『バリー・リンドン』 —「スト—リー」と「語り」のミスマッチ


     映画における「語り」と「ストーリー」のミスマッチが、『ノア』にあると前回の記事で言ったけれども、どうも私は、それに惹かれるようだ。一つそんな場面を紹介。



    スタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』(1975)からのシークエンス。18世紀の華やかな貴族社会。シューベルトの『ピアノ三重奏曲』を背景に、レドモンド・バリーとレディ・リンドンが愛を交わす。

     愛を交わすといっても、そこに会話はない。音楽と役者の演技・しぐさ、カメラワークがその内容を担当している。特に視線を交える二人のミディアム・ショットの連鎖がたまらない。緊張。どきどきする。

     ドキュメンタリー風ともいえる味気ない神視点のナレーションとともに淡々と進行するこの作品において、このシークエンスは異様な存在感を醸し出している。それはこのシーンがあまりにリアルだからだ。

     安直なロマンス映画が陥りがちな冗長な言葉はそこにない。あるのは、二人の生々しい視線やしぐさ、そして音楽。遠い300年前が映画の舞台。しかしそこにある映画の「語り」は、現代の私たちと同じような感性から作られているように感じる。ぐっと映画が現代的になる。「ストーリー」と「語り」のミスマッチ。私はそこに感動する。

     この映画にはそういうシーンがたくさんあるし、キューブリックの他の映画にもこのようなシーンはたくさん出てくる。キューブリック映画は「語り」が魅力的だ。

     単に男が女をナンパするというシーンを、これほどまでに上品に描ける巨匠キューブリックの手腕に畏敬の念を覚えながら、第三考を閉じようと思う。シューベルトの音楽、美術、照明、映像と音楽の同期性など、このシーンの魅力は簡単には語り尽くせない。またの機会に。


    西東あき

    具体的な書籍等の紹介を含め、ご意見アドバイス等があれば。
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    ダーレン・アロノフスキー『ノア』とリアリズム表現 ー「孤独な人間」

     前回、アロノフスキーの『ノア』を取り上げたが、それに関連して。

     表現のリアリティに関する興味深い文章を見つけた。私の敬愛する作家吉行淳之介の『技巧的生活』(昭和42年新潮文庫)の巻末に載せられた奥野健男による解説。

     そして作者は、男も女も登場人物のすべての心理を見通し、それを意のまま操る、神のごとき場所にいる今までの小説作家の位置を信用しない。毎日一緒に暮らしている女房の心理、たえず知ろうとつとめている恋人の心理さえ、ほんとうにわかることがない。相手の心理がわかったと言うのは幸福な妄想である。知りたいと思えば思うほど、コミュニケーションの不能な他者の壁が強く意識されるのではないか。その了解不能の壁の存在を描くことが、そして孤独な人間の内部を描くことが相手の心理を何でも知っていると絵解き的に描くより、はるかに真実に迫ることができるのだ。かつては諸人間の心理が鳥瞰でき、その組み合わせのメカニズムを客観的に眺めることに興味を感じていた小説の読者も、今はそれをリアリティのないつくりもののように感じ、信用しなくなってしまった。相手のほんとうの心はわからず、あせりもがくところに切迫したリアリティと切実な共感をおぼえるのだ。
    太字下線は執筆者による)

    吉行淳之介が、不可解な女性に対して「あせりもがく」男の孤独な心理を描いたのだとしたら、『ノア』では、不可解な神に対して「あせりもがく」ノアの孤独な心理が描かれたとでもいえようか。

     またこの引用によって示唆されることは、リアリズムには2種類あるということ。「相手の心理を何でも知っていると絵解き的に描く」神の視点からのリアリズム表現と「孤独な人間の内部を描く」主観的な視点からのリアリズム表現。後者がより現代的。ギリシャ悲劇のリアリズム表現は前者にあたりそうだ。

     「ノアの方舟」という、それこそ古代劇にでも出てきそうな題材を扱いながらも、『ノア』からどことなくホームドラマ感が溢れ出ているのは、その映画の現代的なリアリズム表現のせいか。「ストーリー」と「語り」のミス・マッチとでもまとめておこう。


     第二考を閉じようとした時、ふと思う。現代的なリアリズムが「孤独な人間の内部を描く」とはどういうことだろう。「孤独」にリアルを感じるなんて、現代人は皆、常日頃から寂しい思いをしているということか。


    西東あき

    具体的な書籍等の紹介を含め、ご意見アドバイス等があれば。

    ダーレン・アロノフスキー『ノア』 —信じること

     ユダヤ系アメリカ人のダーレン・アロノフスキー監督の映画を見た直後、いつも何とも言えない寂寥感や孤独感に襲われる。未解決のまま、壁にぶつかったまま。恐ろしい。

     その冷淡なもどかしさを、先日日本公開された『ノア』においても、味わった。
     「善」と思われていたノアの行為に感情移入していたら、突然ノアが悪者になった。映画はそういう語りをする。その上最終的に括弧付きの「善」を、ノアはやり遂げられなかった。感動的な音楽。

     表面上では希望に満ちて終わる。しかし違和感。アロノフスキーのデビュー作『π』や『ブラックスワン』のラストと似た質感。

     そのなんとも言えないブラックな表現がさりげなく有ったせいか、どうもこの映画は賛否両論らしい。信仰心の厚いキリスト教徒やハリウッド的スペクタクルドラマを期待していた映画フリークの意見も最もかも知れない。聖書の記述は、もはやパロディとも言えるほど拡大解釈された訳だし、ハリウッド映画としては人間臭すぎた。けれども私は多いに楽しめた。そのブラックなリアリズムを楽しめた。
     
     何を信じていいのか分からない。信じているものが「善」なのか「悪」なのか。リアル。叙事詩的な映画であるにも拘らず、そこには現代的なリアリズムがあった。思えば生きていてすっきりした結末を迎えたことなんてない。いつも葛藤がそこにある。そもそも人生、結末なんて迎えたことがない。「善悪」なんて分からない。何を信じるべきなのか。『ノア』はそんな現実に即した、上質なリアリズム表現の上に成りたってるかもしれない。

     アロノフスキーの他の映画との関連で考えたらそれは説得させられる。不器用な人間。端から見たらそんなに思い詰める必要はないのに、自分で自分を追い込んでいく。自分が信じている感覚だけをたよりに。そんな生々しい孤独の心理ドラマが彼の映画の多くに共通する。これこそが彼の映画表現の源流なのか。「信じる」という行為への違和感か。

     アロノフスキーは、保守的なユダヤ教徒の環境で生まれ育った無神論者である。そんなパラドキシカルな彼は2011年次のように語る。

    "I was raised culturally Jewish, but there was very little spiritual attendance in temple. It was a cultural thing—celebrating the holidays, knowing where you came from, knowing your history, having respect for what your people have been through."


    ”私は文化的にユダヤ人として育ったが、寺院で精神的なことに参加することはほとんどなかった。それは文化的なことだ。祝日を祝い、何処から来たのかを知り、歴史を知り、先人がしてきたことに敬意を払うのである。”

    ここに、彼の信じるという行為への違和感の一端が読み取れるかもしれない。信仰への嫌悪感は、デビュー作『π』に、神秘主義的ユダヤ教徒の描写の中で、やや直接的に描かれてもいる。

     もしもこれと完全に同じ文脈で『ノア』が描かれているのだとしたら、それは尋常じゃないほどのブラックさを持ってるだろう。表面的にも聖書を題材にしているのだから。


     西洋人が感じる信仰への葛藤とはなんだろうか、アロノフスキーは自分の宗教観をどのように語っているのだろうか、リアリズムとはなんだろうか、『ノア』は映画製作会社に飲み込まれることなく、アロノフスキー本人の表現なのであろうか、などなど、様々な疑問を胸に、ここに記念すべき第一孝を閉じることとし、おもむろに手元の文庫本に手を伸ばす。遠藤周作『沈黙』。神は黙って見ているだけ。信じるとはなんだろうか。

    西東あき

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    まくら

    世の中は分からないことだらけ。
    今年で大学を出てしまうけれども、知りたいことは山ほどある。

    調べたことや感じたことを文章にしたい。そうすることで自分の考えが深められるし、意見交換も出来る。

    知っていることをひけらかすブログにならないように。双方向のものとなるように。

    よろしくお願いします。

    西東あき
    プロフィール

    西東あき

    Author:西東あき
    24歳(♂)
    音楽、演劇、映画、文学と猫
    twitter : saito_0626

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